自己愛性パーソナリティの有名人 ウィキペディアから

 

三島由紀夫(1925 - 1970)

自己愛性パーソナリティ(障害)を有していたとされる有名人には、三島由紀夫太宰治サルバドール・ダリヘルベルト・フォン・カラヤンがいる。

三島由紀夫は対人関係に過敏で、貴族的な選民意識を持ち、妥協を許さぬ完璧主義者であった。祖母に溺愛され、母との情緒的な繋がりを持ちにくかった三島は、幼い頃にはケガをすると危ないという理由で女の子だけを遊び相手に選ばれている。この体験が彼のバイセクシャルという指向性に影響を与えたかもしれない。文壇デビュー当時の思うように売れない時期から、基底にある自己不確実感を覆い隠すようにボクシングウェイトリフティングという肉体鍛錬に没頭した。またそのうるわしい肉体とは対照的に、取り巻きなしでは飲食店に入ることすらできないという過敏性を示している[81]。その後数々の傑作を生み出し隆盛を極めたものの、40歳にもなると肉体的な老いを感じずにはいられなくなり、痩せ衰えることを極度に恐れた。やがて国家主義的思想に自らの在り方を重ねていった三島は、劇的な自決により、美を保ったまま自らの人生に幕を下ろした[82]

太宰治は慢性的な虚無感や疎外感を抱えていた。安定している時期は自己愛的性格だったが、不安定時は感情統制が困難で境界例的な特徴を示し、芥川賞を逃した時の怒りは常軌を逸していたという。感受性が強く、なおかつ高い知能を持っていた太宰がパビナール依存に陥ったのはごく自然な成り行きだったのかもしれない。また、離人感や自殺念慮も有しており、自殺(心中)未遂を繰り返し、5回目で自殺完遂に至った。28歳の時には精神科病院である江古田の東京武蔵野病院へ入院している[83]

サルバドール・ダリは様々な精神障害の特徴を示しているが、その中核にあるのは歪なナルシシズムである。自らを天才と 言って憚らない自己顕示性と、奇矯な振る舞いの背後には、ありのままの自分を認められずに過ごした生い立ちが関係している。ダリには同じ名前の兄がいた が、2歳でその人生を閉じており、ダリはその兄の写真を見る事を極度に恐れた。両親の目の奥に、自分ではなく、死んだ息子への不毛な愛情を感じていたから である。生涯にわたって自己喧伝の衝動に囚われ続けたダリは、『私は自分自身に証明したいのだ。私は死んだ兄ではない、生きているのは私だ、と』と綴って おり、愛情面の傷つきからくる繊細な感性と、誇大的とも言える自信は、創造的な営みの原動力となった[84]

ヘルベルト・フォン・カラヤンは世界最高の指揮者として「帝王」の名を欲しいままにしたが、その気性から数多くの問題を引き起こした。カラヤンはメディアに掲載される自らの写真を全てチェックし、認めたもののみ公表を許すなど、自分が最も理想的な姿で映し出されることを求めた[85]1975年に不意打ちで写真を撮られた際にはカメラマンを殴りつけるという事件を起こしている。またカラヤンは自らが貴族階級出身であることをあらわす「フォン」をつけて名乗ったが、パスポートには「ヘルベルト・カラヤン」とだけ記されていたという。幾度にも渡るベルリン・フィルハーモニーとの対立に示されるように、カラヤンは少しでも意見を言う者や、従わないものには怒り狂い、徹底的に攻撃した。世間の持つ「天才」、「帝王」という二枚目な「芸術家としてのカラヤン」と、「人間カラヤン」を同じように評価することはできないと楽員は述べている[86]