奪い、そして与える「うつ」について…ある方の回想録です。

土木技術者として働いていた8年前のことです。当時の私は一人で何件もの仕事を抱え、締め切りに追われて多忙な日々を送っていました。深夜残業・休日出勤は当たり前、時には徹夜しなければ仕事が片づかないこともありました。周囲に助けを求めたくても、みな多忙を極めているので、手伝ってもらうことはできませんでした。当時は、朝に自力で起きるのが困難なほど疲れ切っていて、いつも妻に布団から引きずり出されて両腕を抱えられ、何とか起きることができる状態でした。

そんなある日、書類一枚作るのに1時間以上かかっている自分に気付きました。たった1行、ワープロで文章を打ち込めば済むことです。しかし、どうあがいても仕事の能率は上がりませんでした。思考力・集中力が著しく衰えていたのです。心配する家族(妻、両親、兄妹)に病院へ行くよう勧められ、初めて精神科を受診しました。

診断名は「うつ病」。しかもかなり症状が重いので、すぐに上司に相談して翌日から仕事を休むように言われました。そして、上司に診断結果を報告し、休職の手続きを取ったのです。仕事から解放されるという安堵感はありましたが、周りに迷惑をかけてしまうという罪悪感、そして、第一線の仕事から脱落し、築き上げてきたキャリアに傷が付くという挫折感の方が遙かに強く、後ろ髪引かれる思いで会社を後にしました。

私自身、「うつ病」というものをよく知らなかったのですから、私の身の周りの人はもっと戸惑ったことでしょう。両親や親族は「腫れ物に触る」ような態度で接し、当時付き合いのあった友人とも疎遠になってしまいました。平日の昼間は妻も仕事で家を空けるので、一人取り残された私は、孤独と挫折、そして自責の念に苛まれ、毎日気が狂いそうな思いで過ごしました。今まで好きだった趣味にも興味が湧かず、テレビを見てもつまらない。どうしたらいいか分からない私は、布団をかぶって寝ることしかできませんでした。枕を涙で濡らしたことも数え切れないほどあります。

そんな中で唯一の心の支えになったのは、妻のいつもと変らぬ態度でした。「うつ病?それなら先生の言うとおり、薬を飲んで寝てたらいいよ」と言ってくれたのです。何もできない私を責めることは一切しませんでした。私が特に何かを要求しない限り、私は放ったらかしにされていたのです。それはまるで、「貴方には一切興味がないよ」と言わんばかりの態度でした。私のことなどどうでもいいのか?という怒りを覚えることもありましたが、それとは裏腹に、何故か妻がいるときはとても心地が良いことに気付いたのです。

私がどんなわがままを言っても快く応じてくれる、でも、説教や小言を言うことはなく、あれこれ世話を焼いてうるさく干渉してくるわけでもありません。無関心なようで、実は私のことは常に気にかけてくれました。その「愛ある無関心」のおかげで、私は誰にも気兼ねせず、どっぷりとうつ状態に浸ることができたのです。一見、それは悪いことのように思えますが、今となっては、自分がうつ病であるという現実を受け入れ、自力で這い上がるための英気を養うためには必要なことだったんだな、と思っています。

うつ病は、仕事で築き上げてきた技術者としてのプライドと信用、資格、そして大切な友人を容赦なく奪っていきました。しかし、それとは裏腹に、「実は私もうつ病なんだ」と打ち明けてくれる友人がたくさんいたことも事実です。インターネットを通じて同じ悩みを持つ人同士で情報交換をするようにもなりました。その中で、私は決して孤独な人間ではないこと、私は必要とされている人間であること、そして、妻や家族に愛されていることに気付かされました。自殺を考えたことは何度もありますが、家族、とりわけ妻の顔が頭に浮かぶと、とてもじゃないけど死ぬ気にはなれなかったのです。

うつ病との付き合いは今もまだ続いており、本格的な社会復帰はまだまだ先の話です。もう40歳になったこともあり、経済的な理由も含めて社会復帰に対する焦りがあるのも事実です。でも、今はたくさんの理解者に囲まれて、しっかりと正面を見据えて今後の人生について考える余裕が生まれてきました。うつ病という病気に出会わなければ、今のように人生について深く考えることはなかったでしょう。今、共に苦しみを分かち合い、励まし合える仲間がいるのも、うつ病になったからこそ。そう思えば、うつ病の経験もまた、人生においては大切なエッセンスになるのだな、と思えるようになった自分がここにいます。怒りや焦りの感情からは何も生まれません。今こうして、色々なことを教えてくれる人たちに対する感謝の気持ちを忘れないで生きていこうと思っています。

念願の社会復帰がかなったときは、私を支えてくれた人へ何らかの形で恩返しをして、できることなら、この貴重な経験を生かせる職業に就けたらいいな、と考えています。それが、今の私にとっての大きな希望です。