感情の不安定さを伴い、結果を考慮せず、衝動に基づいて行動する傾向が著しいパーソナリティ障害のことを「情緒不安定性人格障害」と呼びます。
これらの人は、あらかじめ計画を立てる能力にきわめて乏しく、強い怒りが突発し、しばしば暴力あるいは「行動爆発」にいたることがあります。
これら一連の問題行動は、衝動行為が他人に非難されたり、じゃまされたりすると容易に促進されます。
この「情緒不安定性人格障害(パーソナリティ障害)」には2つの型が特定されますが、両者とも衝動性と自己統制の欠如というテーマを共有しています。
- 「衝動型」 impulsive type(F60.30)
支配的な特徴は情緒の不安定と衝動統制の欠如である。暴力あるいは脅し行為が、とくに他人に批判された場合、突発するのがふつうである。
- 「境界型」 borderline type(F60.31)
情緒不安定ないくつかの特徴が存在し、それに加え、患者自身の自己像、目的、および内的な選択(性的なものも含む)がしばしば不明瞭であったり混乱したりしている。
通常絶えず空虚感がある。激しく不安定な対人関係に入り込んでいく傾向のために、感情的な危機が繰り返され、見捨てられることを避けるための過度な努力と連続する自殺の脅しや自傷行為を伴うことがある(しかしこれらは明らかな促進因子なしでも起こりうる)。
境界性パーソナリティ障害の診断基準(マトリックス配置)
内的 | 不安定 | 外的 |
慢性的空虚感 | 不安定な感情 | 怒りの制御困難 |
解離性症状 妄想様観念 |
不安定な自己像 | 衝動性(性的逸脱・乱費乱用・むちゃ食い・危険な行為) |
見捨てられ不安(とその回避努力) | 不安定な対人関係 | 自殺のそぶり・脅し・自傷行為 |
境界性パーソナリティ障害の特徴
見捨てられ不安
見捨てられ不安を感じる瞬間とは・・・
なんとか見捨てられないように努力する方法
- 背を向けられた時
- 手を離された時
- ドアを閉められた時
- 電話を切られた時 など
このような見捨てられ不安は、対象恒常性(※下記)に障害があるためと考えられることがあります。
- 注目を集める、仲間を集める
- 媚びる、しがみつく
- 自ら先に関係を断ち切る など
対象恒常性の障害
対象恒常性とは、対象(人や物)は自分が見ていない間でも比較的一定であり続けるという感覚や信念のことです。
対象恒常性が獲得されている場合は、他者は良い面と悪い面を持っていることの両方を考慮でき、例えば機嫌の悪い人に対して「あの人は普段は良い人だけれど、今日は機嫌が悪いのだな」と思うことができます。
一方、対象恒常性に障害があると考えられる人は、例えば機嫌の悪い人に会うと「昨日までは良い人だったが、急に嫌な人に変わってしまった」と感じてしまいます。
また、そのように変わってしまった人については、「よくわからない不気味な人」となり「敵か味方かわからない」ために、白黒をはっきりしてほしくなってしまいます。
このような場合、相手と自分に対してスプリッティングということが生じていることが多く、また、白黒をつけるためにアクティング・アウトということが生じやすいです。
対象のスプリッティング~理想化と脱価値化~
スプリッティングとは分割という意味で、ほとんどの場合は「善」と「悪」に分かれます。
境界性パーソナリティ障害の人にとって、対象(他者)とは、善なる存在か悪なる存在かの二つに一つであり、それらを同時に認知することはなかなか難しいのです。
そのため、完全に善なる存在の人とみなされた他者に対しては理想化が起こり、悪なる存在とみなされた他者に対してはこき下ろし(卑下する)が行われます。
しかし、理想化したとしても、人間とは不完全なものなので、必ず欠点が目につき、その瞬間に善なる存在は悪なる存在になってしまったと感じられ、手のひらを返したようにこき下ろしてしまう(これを脱価値化という)ということを繰り返してしまいます。
自己のスプリッティング~投影同一視~
対象のみならず、自己に関してもスプリッティングは生じます。
後に挙げる悉無律思考(しつむりつしこう:全か無か・白か黒か・100か0か)ということも関係しますが、生きていくためには自分は完全に善なる存在でいなくてはならず、自分の中にいわゆる悪い気持ちが生じることが許せません。
例えば「ずるさ」「汚さ」「醜さ」「過ち」「非」「欠点」「弱さ」などを自分自身に感じてしまうと、生きていくことが苦しくなりリストカットを行ってしまったりします。
こうした悪い気持ちを自分の中から排除するために、その気持ちはあたかも他者が持っているかのように錯覚することで自分の身を守る方法を投影同一視と言います。
噛み砕いて言えば、自分の中の気持ちを相手の中に投げ入れるということです。
例えば、イライラしている場合、相手に向かって「イライラしないでよ」と言ったりします。
相手には心当たりがないけれど、もしも「イライラしているように見えた?ごめん」と気遣って謝れば、多少なりとも自分のイライラは解消されます。
また、「イライラなんてしてないよ!」と言い返されたら、「ほらやっぱりイライラしてるじゃん」と自分の指摘が正しかったという形になるので、それでも自分のイライラは多少なりとも解消されます。
つまり、自分の気持ちを一人で解消できないために、他者を巻き込んで解消するというのが投影同一視なのです。
アクティング・アウト
アクティング・アウトとは、行動化と訳されます。
広い意味では言葉にできない気持ちを行動で解消しようとするといえます。
例えば、行きたくないという気持ちをストレートに表現できない場合、遅刻をしたりキャンセルをしたりします。
本人はそうした行為が気持ちの表れであるということをその時に意識化することは難しいものです。中でも代表的な危険な行為がリストカットです。
リストカット・アームカット
手首や腕を刃物等で傷つける行為です。
切る自己と切られる自己が同一であるため、スプリッティングが関係していると考えられます。
自分を罰するという意味を持つ一方、「私が私を傷つけるのはあなた達のせい」と他者に見せつけるという意味がある場合も多く、リストカットが象徴する心情は葛藤に溢れ、なかなか1つには決め難いものです。
覚醒を目的とすることも解離を目的とすることもあり、また、注目されたい一方で厭世感による場合もあり、正反対の意味を持つ場合も少なくありません。
リストカットによって、心配される価値のある自分と迷惑をかけるダメな自分という2つの自己像を行ったりきたりもします。
いずれの場合も極端で、自分は生きていていい存在(善)なのか、死んだ方がいい存在(悪)なのかという間で揺れ動いています。
常習化すると、「醜い私は傷つくべきである」と「傷ついた私は醜い」という悪循環となり、自分で止めることは難しくなります。
代替案は、ゴムバンドを手首につけてパチンと痛みを与える方法、氷を握って痛みを与える方法などがあります(赤いマジックで線を引くという方法については、代替的な痛みが伴わないために効果は薄いと思われます)。
自力でリストカットをやめようと思うならば、以下の言葉を覚えて繰り返し頭の中で唱えるとよいかもしれません。
- 私の心の傷は体の傷に置き換えても癒えない
- 私の体が傷ついても私の価値は変わらない
- 私の体が傷ついても私の罪は償えない
- 私の体を傷つけても私以外は傷つかない
- 私の体は私だけのもの(だけど)
- 私の命とはいえ私が殺していいものではない
リストカットは、周りの者の気持ちが動かされるので対人操作性が強い行為であるともいえます。
対人操作性
意図して他人を操るという意味ではなく、パーソナリティ障害者特有の言動によって他者が動かされてしまうことを対人操作性と言います。
一般的な人は、善人かつ弱者に対して「なんとかしてあげたい」という気持ちがわくものですが、境界性パーソナリティ障害者に接するとこうした気持ちが特にわきやすいです。
それは、見捨てられ不安によって媚びたりしがみつかれたりするし、悪を切り離した完全に良い人のように見えるし、リストカットによって大変傷ついていたりするから、「自分が助けてあげなくてはならない」という気持ちが生じやすいからです。
そうすると、パーソナリティ障害者のかわりに様々な行動を肩代わりして行うこととなります。
自己同一性の障害
自己同一性とは、アイデンティティとも言われ、噛み砕いて言えば自分とは何者かという確信のことです。
境界性パーソナリティ障害者は、この自己同一性に障害がある場合が多く、最たる者は「明日の自分がどうなっているかわからない」という感覚を持ちます。
また、自分のやりたいことや自分の気持ちがわからないと表現し、自分の行動に自信が持てず、相手に対しての態度も一貫しません。
悉無律思考(善か悪か・白か黒か・100か0か)
「しつむりつしこう」と読む、二極化した思考のことです。
そうした中間性を苦手とする境界性パーソナリティ障害、その前身とも言える「境界例」という概念が、いわゆる旧概念である「精神病」と「神経症」の中間、グレーゾーンであるということはなんとも皮肉であると言えます。
境界性パーソナリティ障害者は、病気なのか健常なのかという中間にいることが非常に耐えがたいために、病気を前面に出す方もいれば、病気ではないと反発する方もいます。
※ 当ルームでは、境界性パーソナリティ障害の当事者および周囲の方のご相談を承ります。