精神病描いた本描いた最相葉月 自ら患者となって治療受けた

【書評】『セラピスト』最相葉月/新潮社/1800円+税

【評者】川本三郎(評論家)

 最相葉月のノンフィクション『セラピスト』に登場する精神医学の教授はこう嘆く。

「これだけ毎年大量の卒業生を送り出して世の中にはカウンセラーがあふれているというのに、どうしてうつ病患者が減らないどころか増えているんでしょうねえ」

 厚生労働省の調査によれば、うつ病や双極性障害の患者数は、一九九九年から二〇〇八年の九年間で二・四倍の約一〇四万人と急増しているという。なかでも働き盛りの三十代に集中している。また文部科学省の調査では精神の病気で休職した教員の数は二〇〇八年にはじめて五千人を越えたという。

 いまや「心の病い」や「心のケア」「引きこもり」は日常用語になっている。彼ら、心を病んだ人間は、どういう治療を受けているのか。カウンセリングの実態はどうなっているのか。カウンセラーに守秘義務があるので、治療の実態は分かりにくい。

 著者は自ら大学でカウンセリングを学び、また患者となって有効な治療といわれる箱庭療法も受けてみる。箱庭療法でよくなった患者に会って話も聞く。自分は「なんらかの精神的な病を抱えていること」を自覚していたという著者にとってカウンセリングの問題は切実だった。

 読んでゆくうちに見えてくることがふたつある。ひとつは、治療がうまくいったのは、たいてい医師なりカウンセラーが患者に丁寧に接した場合。何回も何十回も会って話を聞く。親身になってそばにいる。ただ、患者のそばにいただけだと答える医師もいる。

 時間をかける。治療にはそれが大事だとわかる。ところが現実にはクリニックなどでは三分診療が行なわれる。患者の数が多すぎて丁寧に診ていられない。話相手になれない。これはもしかしたら家族のなかでもそうかもしれない。

 もうひとつは人間にとって言葉は何かという問題。患者は自分の精神状態を言葉でうまく表現出来ない。というか、言葉の表現力が乏しいと病気と判断されてしまう。

 それでいいのか。絵画療法を試みている精神科医、中井久夫の言葉はその点で示唆に富む。

「言葉はどうしても建前に傾きやすいですよね。善悪とか、正誤とか、因果関係の是非を問おうとする。絵は、因果から解放してくれます」

※SAPIO2014年8月号